プロフィール

赤羽寛樹

Author:赤羽寛樹
誕生日:S47年3月17日
血液型:O型
生まれ:新潟県新潟市
性 別:男
「新潟市古町通五番町の着物屋『赤羽』の若旦那でございます。
着物の楽しさを広めるべく頑張りますのでよろしくおねがいします!」


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風邪も治りすっかりいつもどおりの生活に戻った赤羽でございます。
さて本日は、ようやくではございますが、
着物に関する素朴な質問への回答コーナー第二弾でございます。
先回の日記では
「きものはいつから高価な物になったのか?」
について私なりの考えを書かせて頂きましたが、今回は
「どうして洋服に変わったの?」
という質問にお答えしたいと思います。

皆様の中学校や高校の歴史の授業で、
「明治維新」とか「鎖国から開国へ」といったことを習われたかと思います。
江戸時代末期にアメリカ合衆国のペリーが「黒船」を引きつれて浦賀に現れ、日本に「開国」をせまり日本(=江戸幕府)は開国しました。
その後、大政奉還の後に明治の時代へと時代は移り変わっていきます。皆様もご存知のようにこの時より、西洋の文化・文明が日本に持ち込まれることになります。

さて、ご質問された方も
「そのぐらいは分かっているわよ!」
とお思いだと思います。
おそらく一番疑問な点は
「なんでそんなあっさり洋服(西洋文化)に変わったのか?」
という事ではないでしょうか?
この事について回答させていただけば
「そんなにあっさりとは変わっていないのでは?」
と私は思います。

ただ確かにいえる事は、
「西洋化」が明治政府の国策(国の政策)として行われた事、
という事です。
ちょんまげをなくし、政治家や官僚の公式の服装も洋装化、鹿鳴館を建築し西洋のダンスを踊ってみたり・・・。
なぜこんな事をわざわざ「国策」として推し進める必要があったのでしょうか?

一言で言ってしまえば
「不平等条約を撤廃するためにも
(西洋並みの)一流国家と見てもらうため」
だといえます。
日本史でいう明治時代は、世界史でいうと「帝国主義」の時代ともいえます。西洋列強がアフリカ大陸、アメリカ大陸を強大な軍事力で征服、植民地化していき、その勢いがいよいよ東アジアにまで迫ってきた時代です。
日本の開国もこの時代の流れの中に否応なく入っていった出来事といえます。江戸幕府は近代兵器をもつアメリカの砲艦外交に屈する形で開国し、その際に不平等条約(治外法権や関税自主権とか・・・、習いましたね、若い頃(笑))を結んでいました。
それを受け継いだ明治政府は、
「日本が外国の植民地にならないためには国の形(制度)そのものを根本的に変え列強並みの一流国(近代国家)にならねば!」
と決断し大改革を行った事がいわゆる「明治維新」というわけです。

そういった流れの中で、服装も含めた西洋文化の取り入れが進められてきました。ちょっと乱暴ですが「形から入った」と言えるかもしれません。
(もちろん、肝心の「中身」の方はと言えば、これは皆様もご存知、明治憲法制定、士農工商の撤廃(≒徴兵制)、富国強兵策といった政策ですね。)
「そんな、服装を変えるなんて意味あるんだろうか?」
とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、私はこれはこれで有効&重要であると思います。
他国から、あるいは同じ国籍の人間同士であっても
「パッと見の印象」って大事ですからね。
それまで民族衣装を着てた人たちが突然自分達と同じ衣装を着ている、
というのは当時の西洋の人にとっても色々な意味で
「ムムっ・・・。」
と思ったと思います。
私たちも何か目標の人の様になりたい、近づきたいと思う時は、
形(服装や髪型、化粧を真似する事)から入りますよね!?
(もっとも、明治の人たちが必ずしも望んでやっていたかは、また別ですが・・・。)

なにやら歴史の話にばっかりなってしまいましたが(笑)、
つまり、
『まずは政治家や華族といった特権階級の人々が国策として着始め』
『国も(おそらくマスコミも一緒に)それを奨励し』
『裕福層がファッションとして取り入れ』
『段々と一般の人々にも序々に浸透していった』
という流れかと思います。
(このファッションの流行の仕方、一部の特権階級やお金持ちが始めて序々に一般の方々に広まっていく、というのは今も昔も洋の東西を問わず殆どかわっていません。今でしたら芸能人やモデルさんあるいは、巨大メディアが起点の役割をはたしているのでは?もちろん例外もありますが。)

ただ、その流れも必ずしもすぐさま万人に受け入れられたか、といったらやはりそれは違うとも思います。
「不平等条約を押し付けている国の衣装を着るとは何事だ!」
という意見も当然あったでしょうし、
「しかしそれも致し方なかろう・・・。」
という意見も合ったでしょうし、
「でも、なんだか流行っているし、いいじゃん!!」
というお気楽な意見もあったでしょう(笑)。
しかし何はともあれ、特権階級の方々だけが着る様な高価な物に加え、活動の容易さから作業着や普段着としての需要も増えた事により、安価な洋服も次第に市場に出始め(単純に製造力の向上だけでなく、これも帝国主義の産物とも言えるかもしれませんが・・・)洋服が次第に「普通に」着られていく流れであった事は事実だと思います。
ただ、現在の様に「着物を着ているのが非日常」という事には、
当たり前ですが、なっていなかったと思います。


ではいつから
「着物を着る事自体が非日常と思われる様にまでなったのか?」

これはやはり昭和の敗戦が大きいのでは、と思います。
敗戦後、今度はアメリカ文化が入ってきましたが、
私は明治にヨーロッパ文化が入ってきた時とは似て非なる物だと思います。
それは
明治の時には「致し方なく、しかし自主的に取り入れた。」
のに対して
昭和の場合は「否応無しに入ってきた、しかも素晴らしい物として。」
という違いがあると思うからです。
敗戦は当時の日本人の心の大きな楔(くさび)となり、アメリカの占領政策(アメリカ文化の宣伝と奨励と日本文化の否定)とも相まって、当時の国民にとっては大変大きなカルチャーショックであった、と思います。

「物を作り出す技術と苦労に敬意を払う」
「一つのもの(布)を大切に使う」
「古い物、受け継がれてきた事&物を大事にする」



「大量生産&大量消費」
「合理主義&使い捨て」
「新しい事(アメリカ)はいい事だ。古い物(日本)は古臭い。」

に序々に変わって行ったのではないかなぁ、
などと思ってしまいます。
もっともこれも、
戦後の焼け野原から復興していく際には、
「そんな文化もへったくれもあるか!
 まずは衣住食をちゃんとしてからだ!」
という思いで、戦後の方々は頑張っていらっしゃたのだと思いますし、その方々のお陰で現代の私達がこうして裕福な生活をさせて頂いておるのですから、感謝こそすれ非難することは決していたしませんが。

うーん、長々と書いてしましましたが、
結局はよく分からない文章ですね(苦笑)。
いつもながらすいません!

ただ、なぜ、これだけ長い文面を使って述べたのかといえば、
もしかしたらご質問された方が、
明治、あるいは昭和の時代に
「洋服っていう新しいファッションがあるみたいだから着てみる?」
というような軽いノリで庶民が着始めそれが爆発的に広まっていった、という風に思っているのかな、
ともチョッと思ったからです。
え、違いました?そうですよねぇ・・・、ごめんなさい!

ただ、
「西洋以外のアジアやアフリカでも殆どが洋服じゃないか!」
というご意見もおありでしょう。
これは私の推測も若干入りますが、
昔のアジアやアフリカはほとんどが植民地であり植民地となった国々は「原料を安く大量に供給する事」と「余剰製品の処分を目的とした市場」の両方をこなさなければいけなかった時代です。(ここまでは事実です。)
ですので、過酷な植民地での生活で衣住食すべてが不足していた時期、西洋で消化しきれない大量生産された衣料はすべて植民地でさばかれていた(無理やり売られていた)のではないかとも思います。
つまりそれしか着るものがなかったのではないか、と思います。

うーん、大変な時代だったんですね・・・。
やっぱり平和が一番です!

長くなりましたので本日はここまで。
結局さっぱり分からない文章でしたでしょうか?
ご質問、また、「ここは違う!」という事までご遠慮なくご意見下さいませ。

次回はいよいよ
「日本文化はどうして着物なの?」
です!
うーん、これが一番難しいなぁ・・・(苦笑)。

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コメント

またまた、なるほど!

こんにちは。
風邪の具合はその後ぶりかえしたりしていませんでしょうか。
忘年会シーズンが始まりますが、アルコール消毒はほどほどに(笑)

洋服について、ほとんど忘れていた(というより最初から覚えていなかった??)記憶がよみがえってきたようでした。
なるほど、最初は裕福層が取り入れ、それが庶民にも受け入れられる形の物になり・・・というのはいつの時代でも変わらないのですね。
今の時代だと洋服と着物の大きな違いのひとつはTPOの許容範囲じゃないかなぁ、と思います。全くTPOを無視した着物の着方も一部にあるようですが、やはり、過去から受け継いできたものを形で表す、ということについては着物の方が厳格ですよね。それを堅苦しいと感じる壁を乗り越えて楽しめるようになると、もっと着物も普及すると思うんですけどね~。

なるほど・・・。

着物のTPOは確かになれないと難しいですよね。
ただ、いつかのブログでも書きましたがそれもやはり慣れかな?と思いますよ。
きものに関する本に記載されていること、
例えば「紬は普段着」で小紋は「幅広いシーンでもOK」
というのは、そもそも「普段着」の定義は??
ってところからして皆様違うと思いますしね。
とりあえず着物を着る機会を増やしていけば自然と、「今日はこれっ!」という着物が分かりようになります、不思議なもので(笑)。

いつもコメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!

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